2010年 08月 08日
「石について想うこと」 レムリアンシード
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一昨日、Web Shopにレムリアンシードを掲載しましたので、それに関するお話しです。
一般的にレムリアンシードって「古代レムリアの民が人類のシフトを迎えるときに
そのときの人々(現代の私たち)が、その叡智を使えるようにと、プログラミングをして埋めた」
まぁー、そんな感じでいわれていることが多いと思います。
そうするとどこか「別の人種の人たちが、現代の私たちのために…」というニュアンスが
強くなってしまうような気がします。
ふと想うのは「レムリアの民の魂=その後、幾多の転生を繰り返した現代の私たち」
だと思うんです。
つまり遥か長いときを経て、人類が大きなシフトを迎えるときに、未来の“自分”が
再び手にするために、レムリアの時代の“自分”が埋めたって話しですよね。
小学生のときに埋めた「タイムカプセル」を20才になったときに掘り返すみたいな…。
ちょっと違うかな…笑
現代人目線で考えると「そんな遥か先のことを考えて計画する?」なんて思いますけど、
当時は、後に人類が明確に定義していった「時間の概念」というものももっと希薄で、
3次元と4次元の境界線も曖昧だったのではないかと思ったりします。
また、当時は「魂の転生」に関して、“信じていた”のではなくて、
“識っていた”と思うし、その辺をあわせて考えると、「埋めて、後に自分で再び手にする」と
いう計画は理にかなったもののように思えたりします。
まあ中には当時の叡智を現代で手に入れて、支配やコントロールのために使おうという
計画もあったりしますが…苦笑
いずれにしても、そんな角度でレムリアンシードを見てみると
また違った印象を持ったりして面白いのではないかと思います。
…といっても自信を持ってお勧めできるレムリアンシードが
ほとんど無いのが実状ですが…(汗)
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by web-natureworks
| 2010-08-08 12:17
| 石について想うこと