2010年 09月 16日
「石について想うこと」 石の輝き
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先日、ちょっとしたご縁で、直接お客様に当店の石を見ていただく機会がありました。
普段はパソコンが仕事相手ですから、久しぶりに店舗を運営していたときのことを
思い出しながら楽しくお話をさせていただきました。
途中、お客様が「石を持ってきたのですが、見てもらっていいですか?」と
鞄から透明感が美しいアメジストの球を出されました。
それを拝見しながら、持参した布で球を磨いておりました。
私の習慣というか…、他の方のクリスタルを拝見して、
お返しするときに、布を持っていれば、磨いてお返しします。
特に球は指紋がつきやすいですし、
できるだけ指紋を拭き取ってお返ししたいのです。
だって、指紋が付いたままお返しするのは申し訳ないじゃないですか(汗)
話が逸れましたが、そうやってアメジストの球を磨いていると
お客様が「えー、全然別の石みたいに輝きだしたー」と仰られたのですが、
ふと「輝いているのが正しくて、濁っているのが間違いではないですよ」と
いう言葉が無意識に口から出ました。
そんなことをいうつもりは無かったのですが・・・汗
自分で言っておきながら、「確かにそうだよな」なんて感心していました(苦笑)
実はそのときにそのアメジストからメッセージをもらいました。
それがそのまま思考を通さずに言葉に出てしまったんですね。
そうはいっても受け取るときはいつも瞬間的、そして感覚的なことです。
そのときは会話の途中でしたし、それ以上は意識せずそのまま会話を
続けました。
帰宅後、もう一度アメジストからのメッセージを意識化してみると
「輝いているのが正しくて、濁っているのが間違いではない」
「もしあなたが濁っている状態を間違いだと感じるのならば、
それは私にとってではなく、あなたにとって居心地が悪いからではないですか」
そんな感じでした。
これは人間でも同じだと思いますが、輝くときもあれば、濁るときもある。
常に輝いていなければいけないわけでもないし、濁っている状態が間違いでもない。
全てを含めてそれが“自然”、または“生きる”いうことなのかもしれません。
それは石の問題ではなくて、自分の問題なのかもしれません。
石のためといいつつも実は“自分の居心地の悪さ”を解消するためだったり、
“いつも輝いていて欲しい”という自分の身勝手な願望のために
石をなんとかしようと思っているのかもしれません。
この辺は「石について想うこと」の浄化の話につながることでもあります。
というわけで、あらためて大切なことを教えてもらったような気がします。
感謝です♪
またこのお話しの掲載許可をいただきましたK様にも
あらためてお礼を申し上げます。
by web-natureworks
| 2010-09-16 03:15
| 石について想うこと