「石について想うこと」-浄化-その3
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今回は間を空けずに…笑
浄化について話“その1”と“その2”からはズレるかも知れないのですが、
実際に鉱山へ行ってみて思ったことがあって…。
鉱山も含めて、Mt.アイダはやっぱり圧倒的な自然力があるんですよね。
そこから出(いずる)クリスタルもまた自然の塊です。
そういうクリスタルを前にしたとき、クリスタルを浄化できるほど
自分は自然なのか…って思ったんです。
泥だらけの手で洗濯物を手洗いしているような…苦笑
逆に大自然の懐の深さを垣間見るとそんなに簡単に
クリスタルって弱るものなのだろうか…とも思ったんです。
人間から見て「あー変なエネルギーが入っちゃったー」と感じたり、
自分がすごく落ちていて「ネガティブなエネルギーが入っちゃったー」などと
思うことがあるかもしれませんが、果たしてクリスタル自身は
人間が思うほどダメージを受けているのかな?と思うわけです。
クリスタルって私たちが思っている以上に揺るぎの無いものかも
知れないと…。
そういうことを踏まえて、私が出来るのは“浄化”ではなく、
“感謝”なのかなと思いました。
単に言葉の使い方の問題ではあるんですけど、
どうも“浄化”という言葉を使うときに
「私はきれい、石は汚れている。きれいにしてあげましょう」
というニュアンスが離れないんですよね。
“きれいにしましょう”という想いよりも
“ありがとう”という想いの方が私はしっくりきます。
あくまで、私自身の感覚なのですけどね。
一昔前は“浄化”という言葉も「なにそれ?」って感じでしたけど、
パワーストーンブレスなどが一般化して
多くの人が普通に浄化という言葉を使っている気がします。
当たり前な言葉になってしまったからこそ、
あらためて“浄化”について考えてみるのも
良いのではないかと思います。
つづく…かも(笑)